フレックス勤務

 

吾輩はフレックス勤務である。役職はまだない。

 

自分は9時18時で勤務しているが、他のメンバーは大方10時19時で勤務している。

また、繁忙期には長く働いて、ヒマな時には早く帰るということも当然できる。

 

シンプルに通勤ラッシュの時間帯を避けられるというのは、ストレス社会TOKIOに生きる我々サラリーマンにとって、モチベーションが無為に削られないという意味でとってもうれしい。この時期のおじさんと四半刻密着するのは正直かなりキツい。

野球が見たければ、天気の子が見たければ、17時に帰る日を作ってもいいし、朝活したければ7時から働けばいい。そうやって我々は私生活を豊かにしていくんだ。

 

納期との戦いである私のお仕事では、この日単位での労働時間の切り分けは非常に役に立つ。

もちろん、管理で繁忙度が過剰に短期間に沸騰しないようにコントロールされるが、それでもお客からの変更要求は決まって納期の直前にやってくる。

前もって伝えられた要求から急に方針転換、なんてこともままある。

お客からすれば、納期前に言った変更要求は納期までには修正されていて当たり前という感じだ。

 

そういったときに柔軟に勤務時間を合わせて対応できるというのはフレックスの大きな強みである。

 

会社の利益にとってもこのフレックスは理にかなっているように思える。

暇なときにも会社で9時18時をだらだら過ごしている社員に給料を払うよりも、暇な時には社員を早く帰し、繁忙期に実働している社員に給料を払う方が費用対効果が高いことは当然である。

会社が従業員に給料を払い、従業員が仕事をして売り上げの一端を担う中で、日単位で切り分けたときに従業員が生み出す実質的な労働価値に対して給料が払われているというのが会社としての理想的な給料(コスト)の使い方だろう。

平たく言えば、ぼーっと椅子に座っている平時の3時間にお座り代を払うより、手忙しく仕事に追われるアフター6の3時間に対価を払う方がコストの使い方として正しいということである。

 

 

 

このシステムがうまく機能するためには、実力主義の社内評価制度が整えられている必要がある。

 

なぜなら、社員は暇なときに会社に残って仕事をさぼりながらサラリーを頂戴することもできるからだ。

バイトの時に少しでも打刻を遅くして給料をもらおうと休憩室で無為にタバコで時間をつぶした時のアレである。

自分が時間をちゃんと使って仕事をしたということが、自分自身の利益になって還ってくる環境でこそフレックスは上手く機能する。

 

フレックスでは、自由に時間を使える一方、その時間の使い方に社員が責任を持つ必要がある。

とはいえ、全員が全員、熱血的に、妄信的に会社の利益を追求するために会社のコストを効率的に消費しようという考えを持てるというわけではない。特に会社への帰属意識が低いコンサル業界で、会社の利益に貢献するために働こうと思える人はほとんどいない(はず)。

となると、会社が社員個々人が時間を何に使ったかを把握して、ちゃんとフレックスに使った時間を実質的な労働に充てたかということを把握する必要がある。

しかし、実際問題社員がいついつの何時間なにしてましたなど把握することができるわけがない。というか、しようとするとその把握にコストが山ほどかかる。

 

そこで、社員が時間をフレックスタイムを実質的な労働に充てたかを判断する指標として、個々人の業績が用いられる。

その裏には、時間をちゃんとした労働に充てているなら、実績が個人としてあがっていて当然、という論理が働いている。

確かに、半期ごとの個々人の業績評価が自分自身の利益に与える影響が大きい実力主義の評価制度が導入されていれば、自分の業績を上げるために勤務時間を使うことが自分の利益になるため、フレックスとの親和性は高い。(ここでは、実質労働のために時間を使ったのに業績が上がらない悲運の社員は存在しないとする。)

 

いわゆる日本の大企業的な皆々様足をそろえて年功序列方式だと、自分の業績と自分自身の利益の関連性が薄いため、フレックスを悪用する蓋然性が高まる。和式企業が何も考えずにフレックスを導入するとフレックスに時間を浪費するだけの大問題システムになってしまうのかもしれない。

 

 

以上、人事評価システムと個人単位の利益を労働の主原理と信奉する若干23歳ぴちぴち若手新入社員のチラ裏でした。